防災紙芝居
防災イベントや防災講座で紙芝居を行っています。
アナログな紙芝居という魅力の詰まったツールを使用した防災教育にお薦めです。
防災紙芝居について
1854年、安政南海地震津波が紀州広村(現在の和歌山県広川町)を襲いました。高さ約5mの大津波が村を襲った際、浜口儀兵は暗闇の中で逃げ遅れていた村人を、「稲むら」に火を放って高台にある広八幡神社の境内に導き、多くの人の命を救いました。
その後、百年後に再来するであろう津波に備え、巨額の私財を投じ、海岸に高さ約5m、長さ約600mの広村堤防(防波堤)を築き、その海側に、大量の松を山から移植し強固なものにしました。約4年にわたるこの大工事に村人を雇用することで、津波で荒廃した村からの離散を防いだとのことです。
そして、安政南海地震から92年後の昭和21年、昭和の南海地震が発生し、高さ4~5mの大津波が広村を襲いましたが、儀兵が築いた広村堤防は、村の居住地域の大部分を津波から守ったのです。
この話に津波の一般常識も盛り込みながら、内閣府防災担当監修のもと平成16年に「津波だ!いなむらの火をけすな」という紙芝居が作成され、リーダー会では、南支部のメンバーにより、防災イベントや防災講座で紙芝居を行っています。
アナログな紙芝居という魅力の詰まったツールを使用した防災教育にお薦めです。